日本における服飾史の第一人者、中野香織さんが書いた著書『「イノベーター」で読む アパレル全史』(日本実業出版社)を読みました。ファッションの歴史を書き換えてきた、大勢の革新者を取り上げていて、たくさんのエピソードのおかげで、知的な刺激を受けながら、軽やかに読み進められます。ファッションビジネスを進化させてきた先達たちの「イノベーター列伝」は、今の厳しい状況を抜け出すための知見を授けてくれます。
入門書としてやさしい書きぶりでつづられていますが、読み応えはしっかりあり、ファッション史をおさらいするうえでも役に立ちます。服飾史の専門家だけに、初心者の理解を助ける、適切な解説を加えつつ、革新者たちの歴史的な意義を、鮮やかに描き出しました。
ただ、「歴史書」とだけ見るのは、もったいないです。デザイナー紹介にとどまらず、革新者を選び出し、モードの枠に収まりきれない業績にも目配りしているのが本書の優れた点です。
一般的なファッション史の本では、デザイナーのクリエーション面に光を当てがちです。もちろん、そういう切り口があって構わないのですが、本書は違います。「『イノベーター』で読む」というタイトルが示す通り、それぞれの登場人物がどんな革新をもたらしたのかに着目して、業績が整理されています。
ガブリエル・シャネルやクリスチャン・ディオール、イヴ・サンローランなどの偉大なデザイナーも、ファッション産業への貢献、ビジネスの進化といった側面から、あらためて評価されています。「モードの偉人」「デザインの天才」といったイメージで位置づけられがちなレジェンドたちを、別の評価軸から眺めています。
ベルナール・アルノーのような経営者、ダイアナ・ヴリーランドをはじめとする編集者、御木本幸吉を含むビジネスパーソンなど、ファッションシーンを支える立場の革新者も取り上げています。ファッションジャーナリストの代名詞的なスージー・メンケスに触れたくだりは、もたれあいの構造に冷ややかな視線を投げかけています。
著名な成功者ばかりのサクセスストーリー集ではありません。たとえば、ストリートスナップの先駆けとなった、ニューヨークの写真家、ビル・カニンガムにも同等のページを割きました。この視野角の広さに書き手の見識が表れています。
クリエイターを軸に据えながら、彼らを取り巻くビジネスパーソンやメディア人なども登場。メトロポリタン美術館でファッション展覧会を手がけるキュレーターのアンドリュー・ボルトンで締めくくっているのも本書らしい構成。
時代的には新世代デザイナーのヴァージル・アブローやLVMHのティファニー買収までカバー。おしゃれの歴史をざっくり見渡したような、年表に終わっていないのは、史家ならではの著者独自の視点がどの項目にも盛り込まれているからです。
全体を貫く、静かなファッション愛が読み手に伝わってきたのは、次世代のイノベーターを望むポジティブな期待です。続編に取り上げられるべき「次のファッション革新者」の出現を応援したくなる気持ちに誘ってくれます。
本書は、ファッション業界にとどまらない「気づき」を提供しています。ファッション以外のビジネスにもクリエイティブ性やデザイン感覚が求められる中、業界を超えて広く読んでもらいたい良書だと言えるでしょう。