ファッションの全体像が1冊でつかめる良書 『「イノベーター」で読む アパレル全史【増補改訂版】』(中野香織著)を読んで 

『「イノベーター」で読む アパレル全史【増補改訂版】』(中野香織著)を読んで 

 

ファッションに興味を持ったとき、「どこから学び始めればいいの?」と感じる人が多いようです。ファッションの全体像を1冊でつかめるような「決定版」の書籍はこれまで意外にも存在していない状況でした。歴史を学ぼうとすれば過去に偏り、ビジネス書には文化的な視点が乏しい――。そんな悩ましい状況の中、誰にでもお薦めできる本がようやく登場しました。

ファッション史に通じた著作家、中野香織さんの著書『「イノベーター」で読む アパレル全史【増補改訂版】』がその「解」です。2025年6月20日に出版されました。1冊で歴史やビジネス、クリエーションなどにわたる、ファッションの全体像をつかみやすいという点で画期的と言えます。

著者の中野さんは今のファッション研究者のうち、プロフェッショナルの間で最も信頼感の高い第一人者です。幅広い知識を土台に、丁寧な調査と深い考察を重ねたうえで、誰にでも伝わる言葉でしっかりと書き上げる――。そういう誠実な姿勢がこの本を貫いています。

本書は2020年に上梓された旧著の増補改訂版です。そもそも増補改訂版が出ること自体がクオリティーの高さを証明していると言えるでしょう。初版のタイミングから約5年を経て、ファッションを取り巻く事情やファクトにもいろいろな変化が生じました。そうした変化をしっかり織り込んで磨き上げられています。

たとえば、伸び盛りブランドの「CFCL」を率いる高橋悠介氏を単独の固有名詞で取り上げているのは、見事な着眼点です。ファッション史に残る「革新者=イノベーター」の1人として紹介しました。まだ誕生して間もないブランドながら、歴史的な人物と同列で扱われている点に、著者の鋭い洞察が感じられます。

「CFCL」は2021年春夏シーズンからデビューした、まだ5年の歴史しかないブランドです。でも、高橋氏の先見性やビジネス推進力はこれまでの常識を超えていて、別次元のスピードでブランド構築が進んでいます。

ファッションを学ぶときには、どうしても目の前の出来事に引き寄せられがちです。しかし、服飾史家の中野さんは常に「歴史」という視点をもって物事を見詰めています。うつろいやすいファッション界ではこうしたヒストリカルな視座は極めて貴重です。書籍タイトルの「全史」という言葉からは、今と歴史をつなぐ責任感がにじみ出ています。

約100人の人物(イノベーター=革新者)を項目立てて、ファッションヒストリーを多面的に照らし出す構成になっています。出来事ベースの年表式ではなく、デザイナーや経営者一人ひとりの仕事ぶりに焦点を当て、その歩みや思考を通してファッションの流れを描き出していく構成です。だからこそ、読み手の心に響く人間味や、時代を動かすダイナミズムが自然と伝わってきます。

これまではファッション史できちんと説明されてこなかった人たちも選んだうえで、正当な歴史的ポジションを用意しました。歴史を軸に据えた本でありながら、物語のように引き込まれるのは、中野さんの巧みな筆運びならではです。

全11章のうち3章を、日本のファッション人に割いています。クリエイターに加え、匠や企業人にもフォーカス。ジャパンラグジュアリーの先駆者や担い手を正しく評価しました。伝統的な服飾技術やものづくりマインドがあらためて国際的に評価される流れを裏付けています。

第7章はファーストリテイリングを率いる柳井正会長兼社長を含む「経営者」に、第11章はメディアに割り当てています。クリエーションだけに偏らず、業界を支える様々な役割にページを割いている点も、本書の大きな魅力です。

ここでも冴えわたるのは、人選の妙。ストリートスナップの先駆者、ビル・カニンガムや、「メット・ガラ」の司祭役、アンドリュー・ボルトンにまで目配りが行き届いている点には強い共感を覚えました。

約500ページの大著ですが、人物エピソードをちりばめながらつづられているので、するすると読み進めやすい構成です。1章ごとや1人分ずつ読むこともできます。コスパやタイパといったイマドキのものさしを超えて、「知る愉しみ」に浸れます。「ファッションを学び始めたい」と思う人はもちろん、もっと深く知りたい人にとっても、まず最初に手に取ってもらいたい本です。

 

「イノベーター」で読む アパレル全史【増補改訂版】

中野香織オフィシャルサイト

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(2020.01.19投稿)
ファッション史を次に書き換えるのは誰か? 中野香織著『「イノベーター」で読む アパレル全史』を読んで
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